2024年05月24日(金)
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら 豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」 ルカ12:15
金持ちの畑が、大豊作となり、保管場所が無いほどになった。それ でもっと大きな倉を建てた。そこに作物を納め「これから先、何年 分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、 楽しめ~」と言った。何の心配もない、溢れる食物が用意された。 しかしその夜に、何と、彼は死んでしまった。神は、彼を「愚か 者」と言われた。大間違いをしていると。 どこが愚かだったのか。彼が、財産で、物で、幸せになれる、そし て命まで保障されると勘違いした事だった。彼は、普通に命はずっ と安泰だと思ったことだろう。しかし人の生き死には、神の主権に あり、神の手の中にあった。その神を認めることが無く、彼の人生 には、神が無かった。 金銭に依存している人は多い。金持ちほど、更に富に執着し、富を 追い求める。幾ら得ても足りず、更に増やしたい。これは心の問題 で、心に横たわる「貪欲」という罪から来ている。「貪欲」は、ど こまで行っても満足するという事がない。富が幸せを与え、夢を叶 え、安心を与えてくれると勘違いする。 新生した私たちの内にも、根深い古い生まれつきの価値観がある。 金銭に依存し、頼りとしていないだろうか。富を握り締めると、容 易に偶像になってしまう。又、この金持ちは、別訳では「私の」 倉、「私の」穀物、「私の」「私の」だ。すべて自分のもので、貧 しい人に分け与える発想も、神への感謝も無い。あるのは、「自 分」だけだ。 私たちも、自分のためだけに貯えるだろうか。しかし神に向く時、 神に喜ばれるように、富を用いる事が出来る。その時、神の前に富 む者とされ、天に宝を積む者とされる。何よりも、働く事のできる 健康も、天候を支配し豊作も与えて下さるのも、神である事を覚え たい。 ----------- もっともっとと思わなくても、せめて現状維持をしたい、失ってし まうのは怖いと思う。そこに貪欲があり。主に頼る思いが抜けてい る事を覚える。明日を思い煩わず主の恵み心から感謝してたい。