2025年01月24日(金)

「主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多 すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラ エルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって 誇るといけないから」士師記7:2



ギデオンの当時、イスラエルは絶えず侵略を受け、苦しい状況にあ
った。主はギデオンを用いて、民を率い、諸国と戦わせようとされ
た。呼びかけに32.000人が集まった。だが、敵は135.000人の大軍
だった。どう見ても圧倒的に不利で、勝ち目はない。しかし、主は
非常に不思議な事をされた。ギデオンに、兵士の数が多すぎるから、
減らすようにと命じられた。そして最終的には、たった300人の兵士
が残された。

ところが、この戦いは、何とギデオンの大勝利に終わった。この時、
主はギデオンに、兵士を減らす理由として「大人数だと自分の手で
自分を救ったと、自分を誇るから」と。この戦いの勝利は、人間の
力ではなく、主の力によるものとわかるように、あえて兵士の数を
減らされた。私たちも自分が強ければ、主の働きを自分が奪い、自
分を誇り、自分の栄光にしてしまう。

肉は強く、信仰的体験さえも、肉が誇ってしまう。パウロは、素晴
らしい啓示を受けた。第三の天にまで引き上げられるという、誰も
経験した事のない特別のものだった。パウロも、自分を誇る弱さが
あり、それゆえ、余りにも特別過ぎる大きな恵みに、高ぶる事がな
いように、肉体にとげが与えられたと言っている。

厳しく苦しく辛いとげであったが、それにより、高ぶる罪から守ら
れた。そして尚も素晴らしい啓示を受けた。「わたしの力は弱さの
うちに完全に現れる」と。この世では誇れるのは強さだが、私たち
は弱さを誇れるとは何という恵みだろう。
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無力を認めていけることは祝福だ。自分を誇っていることも気づけ
ない者だから。主が何をしてくださったかを大切にしたい。いつで
も主を待ち望める。感謝だ。