2025年04月23日(水)

「いのちを与えるのは御霊です・・わたしがあなたがたに話したことば は、霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63



ある人が非常に苦しい試練の中にいた。気持ちは、暗く辛いばかり
で、どうする事もできなかった。何も考えられず、暗い穴にいるよう
だった。祈る事も、聖書を読む事もできなかった。そんな真っ暗な日
が経過する中、ふと机の上の友人知人の手紙やカードに目が留まっ
た。もらっていたのだが、全く読めないでいた。不思議だったが、手
が伸びた。

背後の、切なる執り成しのゆえだった。色々な人が励ましてくれてい
た。苦しい中も、有難いと思えた。その中に、二人から詩篇の同じ言
葉があり、目に留まった。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せ
よ。主が成し遂げてくださる」。御言葉を眺めていたのだが、不思議
に、これは主が、自分に語りかけている言葉だと思えた。

そこから主を仰ぐ事ができ、御言葉により、立ち上がって行けた。別
の人も、大きな厳しい問題が起きて、うつ症状にまでなってしまっ
た。休息が必要で、何もできず、仕事からも退いていた。やはり祈る
事も聖書を読む事もできないでいた。気力が無かった。心身を休めて
いた。かなり日を経た時に、少しづつ回復のきざしが見えて来た。手
にも取れなかった聖書が、手に取れて、ぼんやり見ていた。

するとその中から、この事が益とされる事、この事を通して、主の栄
光が現されるという御言葉が、心に響いて来た。光が射し込むようだ
った。その時、立ち上がる事ができた。やはり、背後に家族や周囲の
祈りが積まれていた。御言葉は霊であり、いのちであり、力だ。真に
生きる力が与えてくれる。
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いつも読んで知っていた御言葉が、試練の中でいのちをもって立ち上
がって来るとき、主が語ってくださっている事に喜びと力が生まれ
る。御言葉は霊であり、いのちであり、力を経験として知る。