2025年05月24日(土)

「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません・・ 神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み 深い考え方をしなさい」ローマ12:3



「限度を越えて思い上がるな」と言われているが、それは偉そう
に、いばることでは無い。「思い上がる」と聞くと、偉ぶって人を
見下す姿を思うが、そうではなく、「思うべき限度を越え」た態度
のことだと。そして、つまりは、与えられた「信仰の量りに応じて
慎み深い考え方」をしないことになる。

それが高慢で、不健全な態度だと。逆に、本当の慎み深い考
え方とは、各々が与ええられ、御霊に示され、導かれた霊の
賜物を用いて、主と、人々に仕えて行くことだと。つまり「慎み
深い考え方」は、下座でウロウロし「いえいえ、自分などは、何
もできない」と卑下することではない。

自分に示され、与えられた賜物が、主からのものと感謝して受
け取り、それを主と人々のために用いて行くことだ。又、自分に
は苦手で、出来ない分野も、各々にある。それをわきまえること、
それが慎み深い考え方だ。賜物を持つ人を通して受けることが
できる。そこに豊かな祝福がある。

又、私たちは、「信仰の量り」によって、一人一人がさじ加減
ピッタリに、各々がふさわしく導かれている。十把一からげ、
誰もかれも一緒くたというのではない。一人一人、主よりの成
長が与えられて行く。それは皆が違うので、隣の人と比較が
できない。御霊に示された賜物により、奉仕をお献げして行こう。

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皆、それぞれが、主の恵みにより聖霊の賜物を与えられている。
一つ一つが無くてはならない重要な器官だ。皆、異なっている。
与えられた賜物を、祈り、御霊によってお献げして行く時、祝福
され、成長へと導いて下さる。