2026年10月24日(土)

「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわ れた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにな らない人、心に欺きのないその人は」詩篇32:1



罪赦されることは、何という幸いだろう。主が、私
を見られる時に、罪無しとされ、すべての罪は帳
消しにされている。「私たちを責め立てている債
務証書を無効にされ」「証書を十字架に釘づけに
された」。そして「もはや、彼らの罪を思い出さな
い」と。真っ白にされている。

しかし、罪を悔い改めるのではなく、隠そうとした
らどうだろう。心の中に欺きができてしまう。その
ため平安が無く、不安と恐れ、思い煩い、心に
闇ができてしまう。ダビデはバテシバとの姦淫、
ウリヤ殺害を隠ぺいしていた時、「一日中、うめ
いて、骨々は疲れ果て、御手が昼も夜も重くの
しかかり、骨髄は、夏のひでりでかわききった」
と。

平安無く非常に苦しんだ。しかしダビデは悔い
改めた。「そむきの罪を主に告白しよう。すると
私の罪のとがめを赦された」と。私たちは、主
イエスの血潮による救いを受けている。その赦
しは完全だ。あの罪、この罪、すべて主の血潮
のゆえに、完全に罪無しとされている。尚も、
過去を思い出しては、あれが、これがと、くよく
よ引きずっているだろうか。

サタンはすでに赦された罪を何度も何度も思い
に入れてくる。サタンの策略であり、攻撃だ。サ
タンが思いに入れて来た時には、主に赦された
事を感謝しよう。「わたしは彼らの罪を二度と思
い出さない」と言われる主、私たちの頭には罪
の記憶が残っているが、主には無い。

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悔い改めて、すでに赦された罪を、サタンが
思い出させ、不安にし、うじうじさせる。覚えて
いるからだ。サタンである事に、 御霊により
気づかせて頂こう。完全に赦されている。