2005年02月20日(日)

「このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます」(Tコリント4:2)

青年を導く、あるスタッフが証しをした。青年達のために、何かの手助けが出来たらと導かれて奉仕にあずかった。しかし、自分の至らなさで、一人の青年を傷つけてしまった。不注意な言葉が原因だった。自分を責め、落ち込んだ。成長を祈っているのに、つまづかせるとは一体何をしているのか。資格がない。辞めようと思った。神に心を打ち明け祈った。すると、導きを確信して奉仕にあずかったのではなかったか、自分の失敗を受け止めようと思えた。自分に向き合い、未熟な自らを認めて、逃げないで、砕かれたいと。訓練受け、間に合う器に、造り変えられたいと願った。主の求められるのは、忠実だ。成功、失敗は言われない。忠実を喜ばれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
責任者は管理者を信頼して任せる。神は私達を信頼してタラントを委ねて下さった。失敗もする。しかし信頼していて下さる。その信頼に応えようとして行く忠実を喜ばれる。弱くとも忠実である事は出来る。成功失敗でなく神が求められるのは忠実。