2005年12月24日(土)

「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」ルカ1:38

御使いがマリアに現れて、みごもって男児
を産む事を告げた。しかし、現実にはマリ
ヤはヨセフと婚約中だった。それが妊娠し
たとなると重大事態になる。当時、それは
石打ちの刑、殺されるかも知れないし、ヨ
セフをひどく傷つける事にもなる。自らの
幸せの崩壊だ。測り知れない困難があった。
しかし、世間体や中傷を恐れて、神を拒む
事をしなかった。すべての困難を身に引き
受け、救い主が人となり生まれるという、
神の遠大な計画に自らを献げ参加した。大
変な決心だった。マリヤから願った事では
ないし、自ら名乗り出て志願した事でもな
い。一方的に神から出た事だ。戸惑いと不
安もあり試練でもあったろう。しかし、神
の意志に自分を従わせた。自分を全く明け
渡した。私達も自分の望んだ事でも、願っ
た事でも無い事態に引き入れられる事があ
る。しかし、“わが霊は、わが救い主なる
神を喜びたたえます”とその事態は必ずや
大いなる讃美と喜びとされる。
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マリヤは何もかもを、事の全容をわかっていた
わけではないし、状況を見ると恐れに襲われた
だろう。しかし、神を信じ自らの生涯も身も心
も神に献げた。神に従う事を選び取った。今、
岐路にあれば神に従おう。大きな祝福の道。