2006年09月23日(土)

「ヨナは主のみ顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った」ヨナ1:3  

ヨナはニネベへ行けとの神の命令が不
服だった。なぜあの宿敵のもとへ。丁
度そこに好都合に反対行きの船があっ
た。それに乗って逃れた。嫌な事は避
ける事が出来たが、結局、それは主の
御顔を避けてしまう事になる。信仰生
活には、嫌な事、したく無い事、避け
たい事があるものだ。肉は逃れてしま
いたい。しかし、信仰生活のすべてが、
神の配剤の中にあり、必要ゆえに与え
られている。それを通して、プライド、
虚栄心、頑なな自我を砕き、成長させ
ようとのご計画がある。自我の固い殻
があり、したい事だけをしたいものだ。
放っておかれると、自分の好きなよう
に生きてしまう。逃げるなら成長を逃
してしまう。今、あなたの目の前に、
逃れたい事態があるか。ヨナは自分中
心にしか見ていないため、神の心がわ
からなかった。しかし、自らの自我に
気づき、悔い改めて、主の器として用
いられた。事態から逃れて、主の御顔
を避けるか、それとも向き合って主に
従うか。私達の選択だ。                      ・
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状況から逃れ、問題から逃げる事は主
の御顔を避ける事だ。嫌な事を避けて
いると主を避ける事になり、祝福も成
長も逃す事になる。逃げたい問題が目
の前にあるなら、逃げずに従おう。そ
こで神に出会い神を知れる。