2007年02月20日(火)

『イエスは彼らに言われた「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」』マルコ4:40




ガリラヤ湖は、地中海よりも
低い位置にあり高い山々に囲
まれ、よく風が吹き下ろし嵐
が起こった。この時も主と弟
子達で小舟に乗り、主は「向
こう岸へ渡ろう」と言われた。
主は疲れで、舟に乗り込むや
熟睡された。そこに嵐が起こ
り、舟は波をかぶり水で一杯
になった。今にも転覆しそう
だ。恐れと怯えに襲われた弟
子達は主を起こし、私達が溺
れても平気なのかと、やや嫌
み気に言った。主の「黙れ、
静まれ」の一声で大なぎにな
った。弟子達は主から信仰が
無いと言われた。私達の人生
にも嵐は起こる。その時、嵐
が問題なのでなく、信仰の無
さが問題だ。これからも天に
帰るまで、ずっと嵐は起こる
だろう。嵐自体は無くなるこ
とはない。それなら、信仰を
持ち続ける事は重大だ。弟子
達は、私達は溺れて死にそう
と言った。しかし、主は、は
っきりと「向こう岸へ渡ろう」
と言われた。だから主は嵐の
中でも平安に熟睡しておられ
た。私達もどうだろう。目の
前の状況で右往左往し、動転
し、パニックになってしまう。
その時、状況しか見ていない。
そこから来るのは恐怖と不安
と動揺だ。状況は状況として
あるが、同時にそこに主がお
られる。その主に目を注ぐ事
が信仰だ。「向こう岸へ渡ろ
う」との御言葉に立つ事が信
仰だ。今、状況に飲み込まれ
ているか。状況から目を離し、
主を仰ぎ、御声を聞こう。
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日々、信仰の戦いだ。状況を
見るか、主を仰ぐか。しっか
り選択して行かなければ、私
たちは一時も立って入られな
い弱い者だと自覚していよう。