2007年03月22日(木)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1



すべての事に、神の厳粛なる
「時」がある。祈りの中でそ
の、神の時を見分けて行ける
なら幸いだ。物理的には、環
境は開かれているのに、気持
ちが沿っていない事がある。
又、逆に、強い気持ちがある
のに、環境が全く開かれなか
ったりする。それぞれ神の時
ではない事を学ぶ。心が備え
られ、整えられ、且つ、環境
も開かれている、そのような
神の時には、信仰によって前
進すべきだ。ある人の証しだ。
会堂建設を教会皆で祈ってい
た中で、バブルが弾けて丁度
土地が下がった。今だ!と思
った。今なら格安で買える。
今こそが神の時だと。しかし、
牧師は頑として動かなかった。
早く、早くしなければと思う
が、牧師が見ていたのは、土
地の価格でなく教会の一致で
あった。まだ機が熟していな
い。一致のためにもっと祈ら
ねばと。結果的に、皆が一致
し、神の時に土地は与えられ、
会堂が建った。時を待ったの
で、土地は値上がりしたが、
それにも増して多額の費用が
備えられ、更に大きな神の栄
光を見る事になった。すべて
の事に定まった時期がある。
その絶妙なる時を悟って従う
時、素晴らしい神の栄光が現
れる。日常の中で「神の時」
に目を向けていよう。
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すべてに神様みこころの時が
あるので、結果が閉じられて
も、落胆しないし目の前の状
況に執着しないでおれる。す
べての営みの中に神様の主権
を認めるなら焦りや不安から
守られる。