2007年04月23日(月)

「その人は主の教えを喜びとし、昼も夜も口ずさむ・・水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない」詩篇1:2

見渡す限りの砂漠の中に、川が出て
来る。すると、その川のそばには緑
豊かな木々が生えている、そんな光
景を見る。日照りの中で、厳しい砂
漠の中で、水路のそばの木々は青々
と葉を茂らせている。「水路のそば
に植わった木」だ。どのような厳し
い試練の嵐の中でも、その木は決し
て枯れない。なぜなら水路のそばに
植わっているからだ。水路から絶え
ず水分が回り、葉を瑞々しく茂らせ
て行く。「その葉は枯れない」。木
の問題でなく、どこに植わっている
かの問題だ。私達も水路のそばに植
えられた木だ。常に豊かないのちが
水路から溢れ流れて来る。御言葉に
根ざして、御言葉を喜びとし、絶え
ず口ずさむ。そこから力と喜びが来
て、それによって生かされて行く。
「何をしても栄える」のは、商売繁
盛、無病息災、家内安全といった御
利益ではない。何でも自分の思い通
りになるのではなく、御言葉を喜び
とする人の願いは、神によってきよ
められて行き、神のお心にかなった
願いを願う。それゆえ叶えられる。
人生に神の御心を求めて行くから、
祝福されて行く。結局、人生の土台
を何にするかだ。主のおしえか、自
分のはかりごとか。主に頼るのか、
自分の力に頼るのかだ。   
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自分の思いが土台となるなら事ある
ごとに渇きが来るだろう。次々に新
しい情報に飲み込まれ右往左往だ。
御言葉に根ざし御霊様の声に耳を傾
けよう。枯れない豊かな歩みができ
る。