2007年07月24日(火)

「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎が死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした」ローマ4:19



信仰の父、アブラハムにも失敗が
あった。神はアブラハムに「わた
しの示す地へ行け。大いなる国民
とする」と約束された。彼は、神
に従い旅立った。そして、歳月経
るが、まだ子供のできないアブラ
ハムを外に連れ出し、「天を見上
げ、星を数えよ。あなたの子孫は
このようになる」と言われた。彼
は神を信じ、神はそれを彼の義と
認められた。しかし、サラには子
供ができず、サラは女奴隷ハガル
によって、子供を持とうとした。
アブラハムもそれを承諾した。神
の約束を信じてはいるが、神の時
を待てなかった。そして肉の方法、
人間的な方法で約束を実現させよ
うとした。ハガルはみごもったが、
女主人サラを見下すようになった。
信仰の中に、肉が入り込み、家庭
に問題と争い、混乱を生じさせた。
約束を信じるという事は、肉の手
段や方法を入れない事だ。時も方
法もすべて神に委ねるのだ。人間
的知恵や手段が入ると、事を壊し、
秩序を崩して行く。肉の方法でも、
外側は見た目は同じような結果が
得られる。しかし、そこには何の
祝福もない。むしろ悩みと問題を
生じさせる。神の時をじっとひた
すら待とう。「主の救いを黙って
待つのは良い」。神の時を待てず
に、自分の思いで動いてはならな
い。肉で動かず、神の約束を待ち
望もう。神ご自身が成就される。
「胎が死んでいることを認めても
」尚、待ち望むことだ。
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神様の御約束に立ち続けるのは難
しい。不信仰との戦いだ。それで
も、期待して待とう。人知を超え
たみわざを見るから。神様にしか
頼れない時が恵みの時だ。