2007年08月24日(金)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられること、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」ヘブル11:6



私達は皆、自分の幸せと自分の喜
びを求めている。自分の願いが実
現したり、欲しい物を手に入れた
り、自分に満足を与えてくれる人
や物により、心が満たされ喜びを
感じる。しかし、そのような事は
まれで、ほとんどが不満の中にい
る。心満たされず、空虚感があり、
うつうつ悶々状態にいる。それは、
神を差し置いて、自分の幸せ、自
分の喜びばかりを求めるからだ。
だから心満たされる事がない。私
達の幸せと喜びは、神を喜ばせる
事から来る。神を喜ばせようとし
て、自分に喜びが無かったという
人をかつて聞いた事がない。あな
たも何か心満たされず、虚しくう
つうつとしているなら、神中心、
神第一に方向変換する事だ。信仰
が、神を喜ばせる。神がいつも共
にいて下さる事を信じて行く事だ。
人間にとって最も残酷な仕打ちが
「無視」ではないだろうか。存在
を認めない。無視は存在否定だ。
それは相手を抹殺する事であり、
殺人に等しい。神に対してそのよ
うな態度を取っていないか。そし
て、神を求める事だ。求めるとは、
自分の欲望を叶えて貰う事ではな
い。それは御利益であり、恵みや
祝福の副産物を求めているだけだ。
神を求めるとは、もっと神に近づ
き、神を知ろうとし、神と親しく
なり、神を愛し、慕って行く事だ。
親しい交わりの中に信頼関係が生
まれ、それは深められて行く。そ
れが一番の喜びだ。
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神様を認め、日々頼り、求め続け
る人生には、何にも変えがたい喜
びがある。頼って行く者にしかわ
からない神様からの応答だ。慰め、
守り愛して下さっていることは、
頼っている者だけがわかる。報い
はそれだけでも十分だ。