2007年12月24日(月)

「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」イザヤ53:6

十字架で死ぬために、生まれて
下さった主イエス。近づく事も
できない光の中に住まわれ、人
が誰一人見た事もない、見る事
もできない、永遠の主権者であ
られる御父。もし、光まばゆい
栄光の御父だけなら、私達はと
ても近づけない。人となって下
さり、輝きも見栄えもなく、人
々から蔑まれ、除け者にされ、
顔をそむけられ、足げにされた、
そんな主ゆえに私達でも近づく
事ができる。人間は人から傷つ
けられると、人を傷つけて行っ
てしまう。物ではだめで、人格
に受けた傷は、人格を傷つけて、
その傷を癒すと言われている。
日常でよく目にするだろう。人
に当たるのだ。自分のイライラ
やストレスを、人にぶつけて発
散させる。きつい言動や態度で
相手に害を加える。夫は妻に、
妻は夫に、親は子に、上司は部
下に当たる。実は目前の些細な
事ではなく、自分の内にある処
理できない問題のためだ。自分
で自分の責任を取る事をしない。
自分の感情の責任は自分にある
のに、その責任を相手になすり
つける事だ。主はその傷を受け
るためにご自身を献げられた。
十字架上で「わたしを打て」と
言っておられる。人にでなく、
自分にでもなく、主にぶつける
時、不思議だが心が癒される。
これが主を信じる信仰だと言っ
ておられる。
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人は心があるから様々な事で傷
つき疲れる。主を知っている私
たちは幸いだ。主が全てを受け
止め癒して下さるからだ。この
方が私達のために、打たれ十字
架に掛かられるために生まれた。