2008年02月22日(金)

「・・イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた」ルカ24:15

エマオ途上の二人はどんな気持ちだっ
たろう。とぼとぼと、足取りも重く、
別に郷里に帰ったところで、何がある
わけでもなし、失望と落胆、うつろな
心だったろう。現に主の復活が起きて、
罪も死も飲まれ素晴らしい勝利が輝い
ている、それが現実なのに、今それを
手に出来るのに彼らは下を向き、空虚
な、暗い重苦しい中にいた。まさに
「暗い顔つき」だ。私達の姿だろうか。
思い煩いと不安と不信仰の中にいるだ
ろうか。よみがえりの主が、私達のか
たわらにおられるというのに。「目が
さえぎられていて、イエスだとわから
ない」、御言葉を信じないという事だ。
主のよみがえりを信じない。不信仰の
目には、主が見えない。しかし、主は
そんな弟子の、私達のかたわらを歩ん
で下さっている。それゆえ主は御言葉
を説き明かされた。その御言葉に真剣
に聞き入った時に、暗い落ち込んだ重
い心が「うちに燃えていた」。失望落
胆や疑いにある時、主の語って下さる
御言葉に耳を傾ける事だ。信仰は聞く
事から始まり、聞く事は御言葉による。
御言葉を受け取る時、信仰が与えられ
る。振り返る時どうだろう。何度もダ
ウンするが、主が語られる御言葉によ
って、もう一度引き上げられたのでは
ないか。ダウンしている最中も、主は
あなたのかたわらにおられる。
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思い煩いや取りこし苦労で、とぼとぼ
と歩いている時には、主が見えていな
い。どこを見ているのか。自分の中の
不安ばかり見ているより、主を仰ぎ、
側におられる主に信頼して歩もう。