2008年03月24日(月)

「父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」マタイ6:8


偶像を見つつ育って来た日本人は、く
どくどと唱え、量を多く祈れば答えら
れると勘違いする。数珠を繰りながら
唱えたり、とにかく毎日時間をかけて
祈る姿を見聞きするので、熱心にさえ
祈るなら聞かれるというのが、潜在意
識にあったりする。そして、神よ、あ
あして、こうして、あっちへ行って、
こっちへ来て式の指図の祈りをする。
願いが聞かれないなら神を捨ててしま
う。そんな神は要らないのだ。欲しい
のは自分に都合のよい神だ。都合の良
い願いを聞いて欲しい。つまりは、自
分に都合良く人生が回って欲しい。人
生途上で神に出会ったクリスチャンも、
長年培われた価値観が潜んでいて、あ
くまでも自分のために神があり、祈り
ですら神を利用する。ところが、祈る
先に必要をご存じの神だ。祈りは何の
ためか。あたかも神が状況に無知かの
ように、くどくどと説明する必要はな
い。すでにご存じとは、何と感謝で嬉
しい事だろう。熱心に祈って、祈りを
手段として、祝福をもぎ取るのではな
い。あなたよりも、本当のあなたをご
存じの神が目の前におられ、その方は
御子を殺すほどに愛して下さったお方
だ。親は子が心配する前に、必要を心
配し整える。私達は自分にとって何が
本当に必要で、良いのかがわかってい
ない。それを教えてくれるのが祈りだ。
祈りの中で自分が変えられ、真の必要
がわかり、それを求めて行く。お願い
する先に必要をご存じ、「だから、祈
りなさい」だ。
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いま自分に本当に必要なものは何だろ
うかと素直に聞く祈りをして行こう。
必要をご存じの神様の前に、まずあり
のままを認める態度で祈って行かなけ
れば、大切なものは何も受け取ってい
ないのではないだろうか。