2008年05月24日(土)

『「私は主に対して罪を犯した」・・「 主もまた、あなたの罪を見過ごしにしてくださった」』Uサムエル12:13


罪の赦しの有名な箇所だ。ダビデは姦淫
と殺人の罪を犯して、最初悔い改めて
いなかった。この期間、非常な煩悶の
中にあった。彼は王であり全権力を握
っていた。自分はトップであり誰も何
も言う者はいない。罪を隠ぺいしよう
とした。しかし、神は預言者ナタンを
遣わされた。ナタンは例えを用いなが
ら、ダビデの罪を真正面から指摘した。
その時、ダビデは王ゆえどうにでもでき
たが、しらばくれず、自らの罪を認め
悔い改めた。神はダビデの罪を完全に
赦された。神はダビデを愛して、悔い
改めに導くためにナタンを遣わされた。
神はあなたを愛し、あなたにナタンを
遣わされる。プライドと強情な自我は
人から指摘されたくない。必ず痛いの
で、反抗し拒否する。しかし、人から
の警告、忠告は神からのものだ。神が
あなたを見捨てておられず、愛してお
られる証拠だ。言ってくれる人が誰も
いなくなればおしまいだ。ダビデはへ
りくだった。体面も恥も外聞も何もか
も捨て、罪を認め告白した。サウルは
体面と体裁、メンツのゆえに悔い改め
なかった。自我を押し通した。私達は
弱さのゆえに罪を犯してしまう。しか
し、それは誰しもだ。しかし、ダビデ
の違いは、素直にへりくだって罪を認
めたことだ。重大な罪を犯したが、ダ
ビデは神に愛され、ヘブル11章の
「信仰の人々」に名を連ねている。人
からの忠告に耳を傾けよう。間違った
方向へ向かっているとの神からの警告
だ。
・・・・・・・
神はナタンを遣わされる。罪を指摘さ
れる。痛いが神の愛だ。へりくだって
耳を傾けよう。放っておかれる方が恐
い。言ってくれる人がいなくなればお
しまいだ。