2008年07月24日(木)

「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」ガラテヤ5:24

ある人が海外留学を志し、道が
開かれ、皆から大々的に歓送会
をしてもらい、意気揚々と出発
した。ところが翌年、書類上の
ミスで帰国しなければならなく
なった。どうやっても滞在許可
が下りなかった。主の御心で来
たのに、どうしてなのか、納得
も行かず、悶々状態で、主の御
前に心の内をさらけ出し、祈り
に祈った。その時、帰国したく
ないのは、主の御心だからでな
く、どんな顔をして帰ればよい
のか、人は何と言うだろう、人
に笑われる、人を恐れている自
分に気づいた。中途半端で終わ
る自分が惨めで恥ずかしい。結
局、自分、自分と、自分の事だ
けであった。主の御心などと、
たいそうな事を言いながら、実
は自分の欲望、自分をどこまで
も貫こうとする強固な自我、自
己中心を見せられた。心から主
の御前に悔い改めた。主の赦し
を受け取り、平安が臨んだ。心
安らかになりすっきりした。状
況は何も変わらないのに、むし
ろ心に喜びが溢れた。自分の頑
なな自我が、欲が、自分を苦し
めていたのだった。心が自由に
されて、どうであれ主の御心が
成る事が、喜びであり、願いに
なった。私たちも苦しんだり、
心が真っ暗になっている時、あ
るいは自我によるかも知れない。
主の御前に洗いざらいを申し上
げ自由にして頂こう。喜びと平
安が返る。
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主のお取り扱い無くしては気付
けない握っているものを、逆風
の中で知る。すぐに感謝できな
いけれど必ず捨るよう助けられ、
祝福の平安が来る。