2008年09月23日(火)

「だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです」1ヨハネ3:9



私達が「神の子」であるこ
との根拠は何だろう。良い
行ない、良い態度だから神
の子なのか。信仰的、霊的
だから神の子なのか。神の
言いつけに、ちゃんと従っ
ているから神の子なのか。
成長した、霊的クリスチャ
ンだから神の子なのではな
い。主イエスを信じ、新生
した瞬間からすでに神の子
だ。母親から生まれたから
その子供あるように、神か
ら生まれたから神の子供だ。
生まれの問題だ。雇い人な
ら主人の財産を相続する事
はない。しかし、子は親の
財産を相続する。私達は、
親である神の相続人だ。キ
リストとの共同相続人だ。
何という恵まれた地位にい
る事だろう。父が放蕩息子
の兄に「私のものは、全部
おまえのものだ」と言われ
たように。御父と私達は、
無条件で愛される親子の関
係だ。子であるなら親に似
て行く。きよくなる事を求
めて行く。キリストにとど
まる者は、罪の内を歩まな
い。これは、全く罪を犯さ
ないという事でなく、継続
的に故意に罪を犯さないと
いう事だ。罪を犯すと、心
が苦しくなり、犯し続ける
事ができなくなる。「なぜ
なら、神の種がその人のう
ちにとどまっているからで
す」神の種は神の言葉だ。
神の言葉が心の内にある時、
罪を犯す事から守られる。
神から生まれ、神の種を持
っている。サタンにも罪に
も打ち勝って行ける。
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罪の中に留まっておれない
のは、罪を示されるからだ。
何が平安か私達はすでに知
っている。み言葉が臨み、主
に向かう時、罪従う愚かさが
はっきりと見えてくる。