2026年01月21日(水) 「わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、 心に慕うもの・・を取り去る日」エゼキエル24:25
「わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、 心に慕うもの・・を取り去る日」エゼキエル24:25
こんな経験があるだろうか。「主の御心が成りますように」と祈る が、自分の願いで一杯で、建前は主の御心だが、本音は自分の心が 成りますようにだろうか。だが反抗する気など無く、頭では御心が 成るようにと思っているので、気づかない。後で振り返ると、委ね るという意味もわかっておらず、主を信頼する事もしていなかった と知る。 説教で、学びで、主に委ねる事の大切さを教えられ、頭では、そう している「つもり」だ。しかし、実は自分の思いをしっかり握りし めて放さない。しばしば、自分がそうあればいいと思っている事を、 実際そうだと勘違いする。反抗していれば、明らかにわかるが、逆 らうつもりはないので、逆に気づかない。何かがぼんやりし、漠然 とし、混沌としている。幕が張られているようだ。 心に確信と満たしが無い。心底の平安が無い。自分でも、何かが足 りないと感じている。握りしめて、明け渡せないところを祈ってみ よう。心の内を御霊で照らされる時に初めて、気づきが与えられる。 御霊によらなければ、わからない。 握っているものは何だろう。「彼らの力とするもの、栄えに満ちた 喜び、愛するもの、心に慕うもの・・」主以外のものなら、偶像にな ってしまう。御霊の気づきが与えられるように。主に明け渡して行 けるよう、祈って行こう。 -------------- これがなければ生きていけないと、頼りにし、すがっているものが 多くある。目に見えるものに頼りながら、主に頼っている事を認め て明け渡したい。主のあわれみに完全に頼って歩みたい。