2026年01月09日(金) 「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」 T列王17:1
「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」 T列王17:1
エリヤは、主から命令を受けた。アハブのもとへ行き、ここ2,3 年は雨が降らないと告げるようにと。つまり日照りで、大飢饉にな るという事だ。アハブに告げるのは、大変勇気が要った事だろう。 アハブは極悪王であり、きげんを損ねたなら、即、打ち首もあり得 る。しかしエリヤは信仰に立って、主に従った。 「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」というの が、エリヤの信仰だった。「それから、彼に次のような主のことば があった」。エリヤが信仰に立ち、一歩踏み出すと、次の導きが臨 んだ。一歩従うなら、主は、次の展開を与えられる。「ここを去っ て・・ケリテ川のほとりに身を隠せ」との指示が来た。川の水を飲め、 烏に養わせると。 そこでエリヤはかくまわれた。しかし貪欲な烏が、食物を運ぶのだ ろうか。自分が食べてしまうのでは。その川は大丈夫なのか。だが、 エリヤは、「彼は行って、主のことばのとおりにした」と、更に次 の一歩を踏み出し、主の言葉に従った。すると、主の言葉通りに、 烏が朝夕に、肉とパンを運んで来た。主の奇跡だった。「そこであ なたを養う」との「そこで」が重要だ。 ケリテ川で、エリヤは養われた。ケリテ川でなければならなかった。 主の御心の場にいる事が、最大の安全だ。奇跡をもって養われる。 ケリテ川が枯れると、又、「主のことばがあった」。次々と主は導 かれる。一人のやもめに命じて、養うようにしていると。一歩従う と、次の示しが臨む。今、目の前に示しがあるなら、主に従い、そ の一歩を踏み出そう。 -------------- 主の恵みは尽きることがない。見ずに従う事には大きな不安が伴う が、信仰を持って従いたい。信じて一歩従うときに、次の一歩が見 えてくる。