2024年04月11日(木)

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうす れば、そのとおりになります・・だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい。」マルコ11:24



主は、祈りについて素晴らしい約束を与えて下さっている。私たち
が信じて祈り求めるなら、信じた通りに与えられると。「何でもす
でに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」。
だが、次に言葉が続く。あなたが被害を与えられ、恨みを持ってい
る相手を赦しなさいと。赦す事が大切だと言われている。

赦さない心は、祈りをさえぎってしまう。まず、主があなたを赦し
て下さったのだから、恨みのある相手を赦しなさいと。私たちは、
しょっ中、失敗する。しかし主はどこまでも赦し続けて下さる。
私たちは罪を犯さないのではなく、弱さのゆえに犯してしまうが、
赦されて〃生きている。

まず恨みや憎しみ、赦さない心があると、祈れなくなってしまう。
平安が無くなり、主と私たちの間に、隔たりができてしまう。ある
働き人が、大きな集いの説教を依頼され、準備のために切に祈っ
た。しかし、幾ら祈っても御言葉が与えられない。期日は迫り、尚
も与えられず、徹夜祈祷を決めた。主と交わる中で、心の奥に潜ん
でいた恨みを示された。ある人々の言葉に傷つき、敵対心、赦せな
い思いを抱いていた。

この妨げに気づかされ、心から悔い改めて、御前でその人々を赦し
た。すると見事に祈りが答えられ、説教準備が御霊に導かれた。赦
さない心は、祈りをさえぎる。恨みがあれば、ありのまま主のもと
に持って行こう。自分では出来ない。主が取り扱い、教えて下さり
ながら、赦せるように導いて下さる。  
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相手のした悪をくり返し思い出すのは牢獄だ。主に一番に求めるの
は赦せますように、ではないだろうか。赦さない罪を認め、主に助
けを祈り求めよう。 必ず聞かれる。