2009年04月19日(日) 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Tヨハネ5:14
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Tヨハネ5:14
祈りは聞かれるが、聞かれない時は、「ノー」の答えか、あるいは尚も祈り続け よということだ。ノーの答えの一つに、「動機」が間違っていることがある。 動機は非常に大切だ。動機が間違っていたなら、決して聞かれる事はない。ある 婦人が赤ちゃんが欲しいと神に願い祈っていた。ところが、祈り続けるものの、 幾ら祈っても祈っても答えがない。 与えられないと、ますます願望と執着は強くなり、委ねて行く事とは逆に向かい、 どんな事をしても絶対に与えられなきゃ嫌だと思った。しかし、余りの気持ちの 強さに、このまま行けば、仮に与えてくれるなら、偶像でも何でもよいとまで行 き着く事になると、愕然とした。 自分が神の上に立って、指図しようとしてる態度、何がなんでも、神から恵みを もぎ取ろうとしている、欲望のために神を利用する、恐るべき自分の姿に気づか された。号泣の中で心から悔い改めた。 何もかも神に明け渡し、心すっきりし、平安にされた。もう子供はいいと思えた。 そう思えるほど、心が喜びと平安で満たされていた。 その後、御心のままにと委ねていたら、数年して、医師からは妊娠できない身体 と言われていたのに、神は赤ちゃんを与えて下さった。 喜びであり感謝であったが、何よりも、いかに自我が強く、自己中心であるかを 示され、気づけたこと、間違った心が正され、平安と喜びに満たされたこと、そ の事が感謝でならなかった。 神が取り扱って下さり、隔てが除かれ、神ご自身との交わりが何よりも喜びとさ れた、その事が嬉しかった。 ・・・・・・・・・・・・ もし、祈りがずっと聞かれないままなら、動機もよく探ってみよう。動機が間違 っているなら、御霊が気づきを与え、祈りの軌道修正をして下さる。そして、御 心にかなった祈りへと導かれ、その祈りは答えられる。