2009年08月23日(日)

「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます」ヨハネ10:3

神の御心、導きを知るために、原則的な方法がある。が、まず神の御心を求める
者に、神は喜んで御心を知らしめ、神の喜ばれる道へ導かれることを知ることは
大切だ。

そして、御心に従う者に、御心を示される。示されても従う気が無い者に、聖な
る御旨を知らされる事はない。それゆえ、まず「従います」との態度は重要だ。
右でも左でも、御旨のままにとの姿勢が必要だ。

まず自分の意志を委ねない限り、御心はわからない。自分の意志がどこまでも妨
げて御心を知ることができない。しばしば、自分の確固たる思いをすでに決めて
いて、神に了承印が欲しい。

御言葉と祈りによる平安と摂理による状況から、御霊に導かれて判断して行くと
よい。必ずそれらが一致する。矛盾する事は無い、もし一つでも不安なら、続け
て祈ることだ。神は必ず示される。

前後の文脈を無視して、一つの御言葉だけを取って来る事も危険だ。重大な御心
については、慎重によく祈り、全き平安が来るまで、早急に事を進めない事だ。

サタンは神と同じ事をする。神は御声をかけ導かれるゆえ、敵も声をかけて来る。
神のなさる事には秩序と調和がある。調和に欠け、平安に欠けるなら、よく見極
めよう。

焦る事はない。神の御心なら、時間と共にますます確信が強められて行く。そし
て、目の前の門が、ひとりでに開かれて行く。

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主が御心を教えよう、知らせようとして下さっている。何と嬉しい事だろう。自
分の思いが無いようで強くあり、しばしば自分の思いが妨げて、わからなくさせ
る。自分を明け渡して行く時、今まで見えなかったものが見えて来る。