2009年11月22日(日) 「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8
「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8
マリヤは香油を、主の頭に注いだ。その香油は300デナリで、1デナリが1日分 の給料であり、10ヶ月分だ。大変高価な物であった。すると弟子達は、貧しい 人々に施せたのにとマリヤを非難し憤慨した。 しかし、主は、マリヤのその行為の意味をわかっておられた。「わたしのために、 りっぱなことをしてくれたのです」埋葬の準備にと前もって油を塗った。それが、 主に油を塗ることの出来る最後の時であった。 その後、主は十字架へと向かわれた。そして、週の初めの日の明け方、主のご遺 体に香料を塗るために、何人かの女性が墓に行ったが、もう主は復活されて、誰 も塗ることができなかった。 まさにマリヤが塗ったナルドの香油が最後だった。的確なタイミングであった。 それはどんなにか主をお慰めした事だろう。マリヤは大切な高価な香油は無くな ってしまったが、その犠牲の大きな分、心が主に向かった。 悔いの無い晴れやかなすがすがしい確信が深められた。献げる事の意味を知り、 祝福を味わい、生涯主に献げて生きた。時と機会を逃してはならない。又、彼女 は「自分にできる」精一杯の事をした。出来ない事にばかり目が行っていないか。 マリヤはなぜその時が的確にわかったのか。いつも御言葉に真剣に、一言ももら すまいと、耳を澄ましていたからだ。主にこれから起こる事が理解できた。 私たちも、主をお喜ばせするためにも、御心を知るためにも、日々真剣に御言葉 に耳を傾ける事がどうしても必要だ。耳を澄ますなら、必ず御声が聞こえて来る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私たちの宝のあるところに、心がある。自分の宝に、どこまでも心がついて行く。 宝と心は強い関係にある。主は、献げるその心と宝を受け止めて下さる。マリヤ の心をわかられたように。そして宝を献げる時、「心」が宝から主に移る。