2009年12月23日(水)

「『あなたののろわれたいちじくの木が枯れました』イエスは答えて言われた『神を信じなさい』」マルコ11:21



当時、道に生えた野生のいちじくは自由に食べていた。主がいちじくを食べよう
としたのに、実がなかったので、腹を立て、木を枯らしたということではない。
いちじくはイスラエルの象徴であった。

「この良いいちじくのように、わたしは、良くするために彼らに目をかけ」と。
「葉のほかに何もない」というのは、ユダヤ人への嘆きだった。
ユダヤ人の宗教指導者たちが、神が遣わしたメシヤを受け入れない事への警告で
あり、さばきであった。

細かい儀式は、ぎちぎちと執り行うが、その心は神から離れている。
枝葉末端のことばかりで大切なものを見失っている。形式はあるが中身がない。
葉ばかり茂って実がない。祈りの家が強盗の巣になっている。

生きた信仰がないことを教えようとされた。それゆえ、実を結ぶ信仰について
語られた。私たちはどうか。実を結んでいるか。変えられて行っているか。

実を結ぶために、まず「神を信じなさい」。山とは不動のものだ。動くわけがない。
しかし、信じるなら山が動く。主にとり不可能は一つもない。今あなたに必要なも
のは「信じること」だろうか。

次に「祈ること」理屈でなく、とにかく生活の目の前の一つ一つをすべて主に祈っ
てみよう。祈りの中で自分が変えられ、実を結んで行く。
そして「赦すこと」赦さない心が実を結ぶ事は不可能だ。具体的に赦す人を御霊
が促しておられるか。
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形だけ整え知識が増しながらも、霊的な部分で主と強く結ばれていなければ、枯れた
いちじくの木だ。不信仰な者、整えられていない者のために主が来られた。形ではな
く真実に、主を慕い求めて行きたい。