2010年03月23日(火)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」ピリピ2:13

神は、御心にかなった思いを心に起こされる。「〜したい」「〜しよう」との思いが臨む。しかし、要注意だが、心に様々な思いが起きるが、その思いがすべて神からのものというのではない。サタンも思いの火矢を投げ込んで来る。

肉の思いが、自分の心の内から湧き上がって来る。では、どれがどうであり、どれが神からの思いなのか。見分けるためには、とにかくよく祈ることだ。祈りがまず大切だ。そして、その思いが、聖書全体の原則にかなっているかを、見る。神が、御言葉に反し、矛盾する方向へ導かれる事は絶対に無い。

必ず、神の御心は、御言葉の原則と合致する。目的のためには、手段を選ばないものも、神からではない。神から出たものであれば、必ず目的も手段も正しく導かれる。又、神からの思いは、必ず人の徳を立て、人を祝福し、霊的成長に役立つものだ。

人を傷つけるものなら違う。御霊は理由もないのに、人を傷つける事は決してされない。又、その思いは、時間を経ても変わらない。自分の気まぐれな思いなら、気分次第でコロコロ変わるし、すぐに消えてしまう。重要な事柄であれば、よく時間をかけて祈ることが大切だ。

時間をかける事で、はっきりわかってくる。神から来たものなら、その思いはどれだけ時を経ても、変わらない。環境も合致して行く。又、信頼できる人に一緒に祈ってもらうと良い。神の導きなら、必ず一致がある。
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神からの思い、志であるかどうか、最初から最後まで主に喜ばれるものかどうか、また主に喜ばれる事を本当に願っているのかどうなのか。迷ったままなら動かずに、導きを求めてよく祈ろう。