2010年04月22日(木)

「子どもは死んだのではない。眠っているのです」マルコ5:39


会堂管理者ヤイロが、瀕死の娘のために主に助けを求めた。主が共に出かけられると、長血の女性が割って入った。一刻を争う時であり、ヤイロの心は急いて、気が気ではなかったろう。彼女が癒された時、使いが来て娘の死を告げた。

もう主に来て頂く必要はないと。ヤイロの心はどんなであったろう。絶望が襲おうとする瞬間に、間髪を入れず主は御声をかけられた「恐れないで、ただ信じていなさい」。別訳では「主はその話している言葉を聞き流して」、「主はその言葉に注意を払わず、心に留めず」となっている。不信仰な言葉は、聞き流す必要がある。心に入れてはならない。

信仰の言葉である、御言葉を心に入れて、不信仰な言葉には耳を塞ぎ、シャットアウトすることだ。不信仰の言葉を心に入れると、不安や恐れ、疑心暗鬼に支配され、不信仰に侵食されて行ってしまう。又、不信仰を招く事柄に「もうだめだ、遅かった」という状況がある。

しかし、神の時がすべてだ。家に着くと、人々は大泣きし、取り乱していた。娘は知らせ通り、すでに死んでいた。目の前の動かすことのできない現実であった。しかし主は、「死んだのではない、眠っている」と言われた。

人々は嘲笑った。理性に合わないからだ。しかし、主の言葉通り、娘は生き返った。どの言葉を受け入れ、どの言葉を聞き流すか、私たちの心が守られるために大切だ。
------------
心の中でいつも何かの声と会話している。不信仰な言葉が心に来る時、それを自分のものとしないために、いつも御言葉をたくわえていよう。不安や苦い思い、聞き流すべき言葉にすぐに気づき、今日も心守られますように。