2010年08月23日(月)

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」Tコリント10:31


私たちクリスチャンは、何のために生きているのだろう。あなたは、何のために生きているだろう。神を信じてはいるが、本音では自分のためだろうか。自分の好きなように生きたい、好きな事をしたい、そこにクリスチャン的要素、カラーをつけていたい。信仰は応接間の飾りだろうか。

主のためではなく、自分のために生きてしまう。「天動説」のようだ。地球が中心で、太陽や星が、地球の周りを回っている。自分を中心にして考えると、太陽が回っているように見える。しかし、実際は、地球が太陽の周りを回っている。
太陽が中心だ。

自分を中心に置き、世の中が、周囲が回っているとし、回そうとすると、秩序が乱れ、混沌として来る。色々な問題、悩みがその自分中心から生じている。太陽中心に、地球が回ると、すべてが秩序正しくなり、整然となる。神中心に自分が回ると、すべてがあるべき場所に位置し、整理がつき、すっきりし、心は平安と
喜びが満ちる。

自分のためでなく、神のために生きて行く事は、自分の利益でなく、神の利益を求めて行くことだ。自分の欲望が満たされたなら、満足で幸せと錯覚するが、そこに幸せは無い。欲望は幾ら追いかけても行き着く先は虚無だ。神が喜ばれる事を求めること、その時必ず真の喜びと満足を得る。
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ただ救われただけで自分を生きたままでは何も変わらないなら、自分の内の混乱や問題も絶える事なくおきて来る。少しでも動機を自分から神へと変えて行こう。変えられた分だけ真の喜びを味わえる。