2010年09月22日(水)

「あなたの主人のもとへ帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい」創世16:9  


幾ら待っても、子供のできないサラは、女奴隷ハガルによりアブラハムの子を得ようとした。当時は普通に行われていた事であり、肉には良い考えだと思えた。アブラハムもサラの申し出なので承知した。しかし、ハガルに実際に子供ができた時、ハガルは優越感で、サラを見下すようになった。

肉でする事は、幾ら良いように見えても、必ずトラブルを引き起こす。肉で動いてはならない。予想に反する事態に、逆にサラがハガルを攻撃し、いじめた。ハガルは辛くてたまらず、荒野に逃げた。しかしそのハガルに御使いが現れ、サラのもとへ戻って、へりくだって仕えるようにと告げた。そうするなら、子
孫を大いに増やすと。

ハガルとイシュマエルにすれば、自分で選んだ道ではない、状況に置かれた。彼らには選択不能であり、どうする事もできず、これは彼らの責任ではない。しかし、状況に責任はないが、それに向かう態度と行動は自らの責任だ。神は彼らを顧みられた。アブラハムとサラによる教訓は、肉の判断、決定は必ず問題と悩みを引き起こす事だ。

周囲まで問題に巻き込んで行く。人間的にこれは最善と思える方法が御心なのではない。又、親族の肉の助言が罠になり、そこから大きく道がそれる事がある。聞くべきはまず神であり、判断と決定の際には必ず祈ろう。神に導きを求めよう。又、助言をする時は、よく祈って御霊に導かれて助言しなければならない。肉の結果は、御心と正反対の方向へ向かってしまう。
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神の御約束があるなら、遅れていても必ず成る。導きを祈っている時も神がその答えを下さるまで忍耐して待とう。遅延していているのもノーも、答えであって、必ず静まって祈っているなら、それは、わかる。