2010年10月23日(土)

「エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」T列王17:16



ケリテ川が枯れた時、エリヤは、主からシドンのツァレファテへ行くように告げ
られた。そこで、やもめ女に命じて養うと。主の言葉に従い、その町へ行くと、
やもめ女に出会った。そこで、彼女に水とパンを求めた。

すると、驚くべき悲惨な状況にあった。彼女は資産家などではなく、最後の一握
りの粉でパンを作り、母子で、最後の食事をして死のうとしているという、極度
に貧しいやもめであった。

エリヤは何と思っただろう。目の前の人物は、人を養う事など不可能な状態だ。
しかし助けを求めなければならない。何という状況だろう。人間的に考えるなら、
その最後のパンを自分にくれとは、とても言えない。

しかし、エリヤは見える状況でなく、情でもなく、自分の思いでもなく、御言葉
に従った。ただただ、主に従った。まず私に小さなパンを作り、その後にあなた
方のために作るようにと。そうするなら、飢饉が終わるまで、粉は尽きず油は無
くならないと。

人の思いや情は、神のみわざを妨げる。エリヤは御言葉に立ち、彼女はその言葉
に従った。すると、奇跡が起こり、やもめ女と子供は飢饉の間中、豊かに養われ
る事になった。

神を第一にする時、みわざを見る。自分の思いや情、見えるところが反対方向を
向いていても、神の言葉を選択し、従おう。その時、神が全責任を取って下さる。

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時に、自分の思いや感情、又、常識と、御言葉が相反する事がある。自分の思い
の方が良いように思える。それで御言葉を退けてしまう。しかし、見える所がど
うであれ、御言葉のほうに従う時、神の奇跡を見る。御声のほうを選択し従おう。