2010年11月22日(月)

「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」エペソ5:13



ある人に、神学生時代の同期生である友人がいた。寝食を共にし、常に交わり、悩みの時の相談相手であり、喜びも苦しみも共にした。卒業後も、折々に交わっていた。様々語り合い、楽しい交わりであり、祝福であった。

ある時、彼の働きが大変賞賛を受けた。その時、心にざらつくものを感じた。嫌な思いであり、心苦しくなり、帰宅するや一人になり、主との交わりを持った。心の思いをすべて告げ、御霊に照らし出されるよう祈った。心を静めて、心を探っていた時、はっきり御霊が心の奥底に、「妬み」を示された。

それは初めからあったものだと気づかされた。普段は出ないが、以前から事あるごとに、ざらつきを感じていた。相手は親友であり、絶対に認めたくない感情であった。認めたくないので、無意識に封印し、薄々感じてはいたが、自分に向き合う事はなかった。避けていた。それゆえ認識する事はなかった。

主の御前に心から妬みを悔い改めた。すると、平安に満たされて、喜びが臨んだ。私たちも、認めたくない、触れたくない罪や弱さは、痛くて避けてしまう。しかし、それはずっとそこにある。認めようとしない限り、自分でごまかしてしまう。薄々感じている事を、主の御前に出そう。主が解決し、平安と喜びに
変えて下さる。
-----------------
明るみに引き出される時、主が心を変えどこまでも導いて下さる。平安がなくざらつく思いに気づいたら主に聖められるチャンスだ。そのままにして、また心の闇にしまい込まず主に告げながら光に歩もう。