2010年12月23日(木)

「私の赦したことは・・キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです」Uコリント2:10



人をどうしても赦せなくて、苦しんだ経験があるだろうか。人を赦さなければ、自分から牢獄に入る事になる。四六時中、牢獄の中であり、その人が目の前にいようといまいと、心は憎しみで、がんじがらめだ。苦しいのは相手ではなく、まさに自分自身だ。心暗く、平安無く、悶々状態だ。自分自身のために、人を赦す
ことはどうしても必要だ。

人を赦すことは、人生の主導権を自分に取り返す事だ。なぜなら、憎んでいる相手に、自分自身と自分の全生活をコントロールされてしまっている。主導権を渡してしまっている。繰り返し、繰り返し嫌な相手を思うので、憎悪は更に増幅し強固になり、やがてモンスターになって行く。悪循環そのものだ。

その背後にいるサタンの思うつぼであり、サタンにほんろうされてしまっている。あなたが赦す事によって、サタンを拒否し、相手があなたの人生に割り込む事を拒否する事になる。あなた自身が解放される。そうしたくないだろうか。

赦さない心からは、何も生まれない。赦したくない事を、ありのまま主に告げて、主の助けを求めよう。赦しますとの意志を向けて行く事は大切だ。まず自分を赦して下さっている主の十字架に目を向けよう。十字架から赦しが流れ出ている。まずあなたが赦されている事を、深く受け取る時、必ず人を赦す事ができる。
主が助けて下さる。赦された人が、人を赦して行く。
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自分のために赦せない思いを主に告げ、苦々しい思いから一刻も早く解放されよう。繰り返し思い出すたびに、背後のサタンにノーと言い、主に委ねたことを感謝していよう。主が守って下さる。