2011年07月23日(土)

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」イザヤ40 :8

対人関係により、心が辛くなり、苦しくなる事があるだろうか。人からのちょっ
とした「ことば」が、ひどく気になったり、不安になったり、又、もろに責めら
れたり、批判される事もあるかも知れない。心暗くなり、落ち込み、立ち上がれ
なくなってしまう。もし、自分の側に、非があるなら、悔い改めること、謝るこ
とが必要だ。

しかし、もしそうでないなら、原点に立ち返って、御言葉に目を向けて行こう。
心が沈み、落ち込むのは、自分の中で「人のことば」が第一になって、最重要と
しているからではないか。神の言葉と、人の言葉と、どちらに重きを置いている
のだろう。神の言葉でなく、人の言葉に左右され、振り回されていた事に気づく
時、平安が戻る。

「神のことば」に目を向け、受け取り、握っていよう。御言葉を通して、人から
の言葉、又、目の前の状況を見る時に、「すべての事について感謝しなさい」の
通り、神が見えて、恵みが見えて、感謝になって来る。「人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ」自分の思いや、人の言葉は、草のようだと言
っている。それらは枯れる。

この世のものは何もかも変わる。思想も、流行も変わり、政治も、人の心も変わ
る。確かなものは一つもない。しかし、「神のことば」は、とこしえに立つ。一
つだけ変わらない、確かなものは、神ご自身であり、神のことばだ。
もし、今、心が辛かったり、苦しかったりするなら、その中で、何に目を向けて
いるだろう。視点を人や状況や自分でなく、「神のことば」に向けよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
とこしえに立つ、神のことばに従う歩みだけが、虚しくない、確かな歩みだ。何
もかもが移ろい行き、変わって行く。神の真理なることばに従う時、それは天に
繋がり、又、その一歩は次に展開して行き、実を結ぶ。今、目の前に示されてい
る「神のことば」に従おう。