2011年08月23日(火)

「ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて・・ダビデとその部下を捜しに出かけた」Tサムエル24:1


サウル王は、最初は謙虚に神に仕え、民にも良く思われていた。ところがトップに立つと、謙虚さを忘れ、心は高慢になり、初心から離れて行った。部下のダビデは戦いに出るや、どんどん手柄を立てて戻る。民の人気はダビデに傾いて行った。女たちが笑いながら言った「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との言葉に、プライドはひどく傷ついた。

怒りは燃え、妬みは憎しみへと増幅して行った。そして、憎しみは殺意へと発展して行く。もしサウルが信仰に立ち、神を見上げていたなら、それらの誘惑から守られ、心は平安であっただろう。自分が王位にいるのは、神による事であり、それは神の恵みであり、賜物であり、忠実で、優秀な良き部下が与えられているのであって、どんなにか感謝な事であったろう。信仰により、神視点で見るなら、感謝しかない。

しかし、サウルは神を仰ぎ、神に従うところから離れ、プライド、面目、人の目、虚栄心のとりことなり、屈折した感情は、妬みの対象であるダビデに向いた。その嫉妬は殺意となり、実際、ダビデに槍を投げて、突き刺そうとした。この時も、ダビデが荒野にいる事がわかると、何と三千人を引き連れて向かった。それも敵との戦いでは無く、一人の部下を倒すために。神から離れ、肉の感情に、思いに、欲望に振り回される、悲惨な姿を見せられる。へりくだり、すべての道に主を認め、主に従う時、道をまっすぐにして導いて下さる。主を認めよう。
---------------
屈折した感情をそのままにしていれば御心から離れ、悲惨な結果へと暴走する。すぐに主に叫び、断ち切っていただこう。主の下にへりくだるなら嫉妬や疑いから正しく心を守られる。