2011年09月22日(木)

「彼女は声を上げて泣いた。神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで言った・・」創世記21:16


アブラハムとサラは、神から、子供を授けるとの約束を受けていたにも関わらず、時を待てないで、奴隷ハガルによって、イシマエルを得た。その後、神の約束は成就し、イサクが生まれた。やがて、イシマエルがイサクをからかい、いじめるようになった。見かねたサラはイシマエルを追い出すように、夫に要求した。

アブラハムにとればイシマエルも実子であり、非常に悩んだ。しかし、神の示しにより、ハガルとイシマエルを出した。二人は荒野をさまよい、食料は失せ、水も一滴も無くなった。二人して死を待つだけだ。この悲惨な状況に、どんなに辛く悲しく絶望だったろう。ハガルは声を上げて泣いた。その時、神は見捨てておられなかった。絶望の叫びを聞かれた。

「神がハガルの目を開かれたので」水のある井戸を見つけ、子供に飲ませる事ができた。その時に井戸が掘られたのでなく、すでにそこにあった。彼女は井戸のすぐそばにいた。井戸があったに関わらず見えなかった。私たちも、信仰人生で数々の問題に出くわすが、問題が問題なのではない。目が閉じている事、見えないことが問題だ。

ハガルは目が開いた途端、井戸を見出した。思い煩い、不安、不信仰の中では目がさえぎられて見えない。問題の中で神に向こう。そこに光がある。今の状況の中で、御言葉を与えられるよう祈ろう。神に向くや、確かな導きへの糸口を得る。
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望みが全くないように思う自分の心が目を塞ぎ、目先の事も見えなくなってしまう。井戸の備えはすでにある。不安でいっぱいの時は、神に叫び、信仰の目でしっかり神を見よう。