2011年11月22日(火)

「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして、今、ベニヤミンも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ」創世記42:36


ヤコブの身の上に、次から次へと問題が降りかかり、試練に次ぐ試練、なすすべもないというような状況だ。エジプトで食糧を買うために、ベニヤミンを連れて来るように言われていた。最愛の子ヨセフを失い、シメオンも失い、今また、目に入れても痛くないほど可愛いベニヤミンをも失おうとしている。

次々と大切なものが自分の手から取られて行く。一見、深い絶望と落胆だ。しかし「全能の神がその方に、あなた方をあわれませて下さるように・・私も、失うときには、失うのだ」、最初ベニヤミンを行かせる事を固く拒んでいたヤコブだが、ユダの説得に、ベニヤミンもシメオンも主に委ね、行かせる事を決心した。

主に委ねた結果、どうなったか。事態が静まり、物事が落ち着く先に、落ち着いてみると、何と、死んだはずの、あのヨセフが生きており、シメオンも無事、家族全員、餓死するところを、食糧は豊かに備えられており、家族皆で共に住めるという、何もかもが、夢のような事態に一変。

あなたも今、窮地で、四方どこを見ても真っ暗闇だろうか。しかし、神にはそこにご計画があり、「しようとしていること」ヨハネ6:6があられる。状況でなく、神を見上げて信じていよう。目に見えたなら、信仰は要らない。何も見えない中で、御言葉を信じ、主に委ねよう。
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先の見えない中で神様の摂理を信じ「必ず益」を見つめて行くことが私達には出来る。不安や恐れを主に告げながら真っ暗闇の窮地を信仰を使うよき訓練の時としたい。