2011年12月21日(水)

「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたが たもそうしなさい」コロサイ3:13


赦せない思いがあるだろうか。人を赦せない心ほど苦しいものはない。四六時中、
憎しみに支配され、がんじがらめ、まさしく牢獄の中だ。それも自分から牢獄に
入ることになる。逃れることができず、囚われの、拘束状態だ。人を赦すのは、
自分自身が牢獄から出るためだ。赦せない思いは、相手よりも、どんなに自分を
傷つけ、苦しめる事だろう。人を赦せず、苦しむのは相手ではなく、自分自身だ。
経験があるだろうか。

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを
赦しました」まず、自分に負いめのある人を赦している。だから、自分の負い目
も赦して下さいと。赦そうとする意志は大切だ。赦せないが、まずは赦そうとの
意志を向けない限り、何も始まらない。どうしても赦せない思い、赦すことの困
難さの中で、主の十字架の赦しが、この赦せない自分のためだと迫る。自分に
は出来ないが、主によって人を赦すことができる。

憎む相手に、自分の一生を支配されたいだろうか。来る日も〃も、心を支配され、
憎しみと恨みで、がんじがらめにされたいだろうか。憎む相手に、自分の人生を
支配される事を拒絶し、解放されよう。相手を赦す時に、牢獄から出て、自由の
身にされる。喜びが溢れ、平安に満ち、自分を取り戻すことが出来る。
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赦せない!と思い出しては繰り返し憎む相手を攻撃して行くから、心の中は一日
中戦場のようだ。傷ついた心は主が全てご存知だ。憎しみから平安へと心を変え
られるように祈ろう。主がして下さる。