2012年01月23日(月)

「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って・・わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け」ヨシュア1:2 


約束の地を、民に継がせること、これがヨシュアに与えられた使命であった。「強くあれ、雄々しくあれ」が、ヨシュアに求められていることだった。なぜなら、主が共におられ、先頭に立ち、戦い、導いて下さるからだ。ヨシュアの力で戦うのではない。力はすべて主から来るゆえ「強くあれ、雄々しくあれ」と。ヨシュアは偉大な指導者モーセをずっと見て来た。次は、自分が指導者として立つ段になり、どんなに戸惑い、不安であった事だろう。自分に出来るのだろうか。

しかし、求められているのは、ヨシュアの才能や資質ではない。主が、ヨシュアを選ばれたのだから。主の選びがすべてだ。必要な力、知恵、判断、すべて主から来る。「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいよう」この約束があるから、「強く、雄々しくあれ」と。主は事を行なわれる時に、まず人を召し出される。12弟子もそうだった。主は深い祈りによって、召し出され、その弟子たちに宣教に必要な力を与えられた。

彼らが宣教の資質と能力を持っていたから、選ばれたのではない。能力ゆえ選ばれたのではなく、主の御心による選びが先で、必要な能力は、添えて与えられる。今、もしあなたに、ヨシュアのように何かの導きが与えられ、不安と恐れがあるなら、主が選んで下さったことに立ち、必要な力はすべて与えられる事を信じて、従おう。
-------------
主が選び、主がしっかりと私達を捉えて下さっているから必ず前進できる。示された導きに知恵がなければ知恵を、力がなければ力を、足りないものを主に求めよう。新しい力が生まれる。