2012年03月23日(金)

「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」ヘブル12:7

イスラエルの民の、四十年に及ぶ荒野での生活は、訓練の時であった。「人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練される」。しかしその中で、「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった」とあり、生活の必要を、すべて、何もかも主は満たして下さった。だが、民は、主の愛や配慮、助け、支えに関わらず、不平不満ばかりで、不信仰に陥り、従う事をしなかった。

私たちの信仰生活はどうだろう。私たちの価値観の中に、順境が祝福との考えが無いだろうか。祝福とはすべてがうまく行くこと、受験は合格が祝福、不合格は祝福されていない、畑は豊作が祝福、不作は祝福でない、健康が祝福で、ケガや病は祝福されていない・・根底に誤った価値観が無いだろうか。振り返ってみて、どうだろう。

真実な、真の霊的祝福は、むしろ負の事柄から来ていると、気づくのではないだろうか。挫折、思い通りに行かない事態、行き詰まり・・そこで、真に主に会い、主を知り、自分が砕かれ、変えられたのではなかったか。痛い事ではあったが、大きな霊的祝福とされた。悩みがなく、問題がなく、平穏無事が善、この価値観を変える必要がある。

でなければ、いつも喜んでいる事など不可能だ。すべての事に感謝する事もできず、喜びも平安も無い、常に不安な、思い煩いの一生に終わってしまう。すべては主の御手から来ていて、ご計画の内にあり、万事益とされる、その信仰に絶えず生きるなら、どんなに心安らかだろう。
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自分の価値観を頼りに歩むなら、いつも不安定で思い煩いばかりだ。目の前から来ることは全て主からだと、問題を主に委ね、その意味を主から学ぼう。