2012年04月22日(日)

「主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、 水は甘くなった」出エジプト15:25



イスラエルの民は、出エジプトを果たし、偉大な主のみわざを喜び、賛美し、約
束の地を目指したが、主は荒野に導かれた。荒野で三日間歩くが水が無く、又、
マラで見つけた水は、苦くて飲めなかった。「主は・・その所で彼を試みられた」。
主は試みを通される。

民はモーセにいら立ちをぶつけ、つぶやいた。そこに何の解決も無い。私たちも
どうだろう。自分の思い通りに事が進まない時、イライラし、怒り、周囲を責め、
不平不満をぶつけるだろうか。つい三日前の主への賛美、喜びは?そして、不満
をぶつけられたモーセはどうしただろう。

「モーセは主に叫んだ」。モーセは民に対応したのでなく、まず主に叫んだ。民
の不平を主のもとに持って行き、祈った。主はモーセの祈りに答えて、一本の木
を示された。それを苦い水に投げ入れると、その水は甘くなった。この一本の木
は主の十字架の型と言われている。

主は私たちが、失望落胆、怒り、不平不満・・の、苦い水に遭遇するたびに、十字
架を示される。十字架によって、苦みが甘みに変えられる。そのマラから、少し
先にエリムがあった。エリムは、素晴らしい癒しと祝福の地であった。不満、つ
ぶやき、文句・・苦い水を十字架ので変えられ、エリムに着くことができる。「わ
たしは主、あなたをいやす者である」。

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問題が起きた時、自分で何とかしようとせず、人に当たってぶつけず、第一に主
に持って行こう。今、問題があるなら、自分で思い煩わず、すぐ主のもとに行こ
う。そして、主の十字架をじっと見上げる時、不平不満が感謝に。失望が希望に
変えられる。