2012年05月23日(水)

「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め。』と言うことばを聞く」イザヤ30:21


神は、「導きの主」であり、私たちを導いて下さる。そうでなければ、私たちはどう歩めば良いかわからない。その導きは、よく祈り、耳を澄ましていれば、御声が聞こえて来る。「これが道だ。これに歩め」と。デボーションの時に、又礼拝メッセージや学び会を通して、兄弟姉妹との交わりで、祈りの中で、生活の中で・・どの方法かはわからないが、主は必ず導いて下さる。

ただ、その示しが、自分の思い通りとは限らない。ある時は、自分の思いに反するかも知れない。自分はこうしたいのに、主はストップをかけ、別の道を示される。又、自分に敵対する人のために、祈ったり、愛の行ないをして行く事かも知れない。又、自分には困難と思われる、新しい進路や働きに就く事かも知れない。その示しに従う事によって、犠牲を払う必要が出て来るだろう。

しかし、必ずや大いなる祝福が待っている。だが、私たちはなかなか従おうとしない。約束の地を前に、カナンに斥候が出た時も、ヨシュアとカレブ以外は、おじけづいて、不信仰になり、従わなかった。神は導き、民は逆らう。イスラエルの歴史だ。神は私たちにも、繰り返し〃忍耐もって導かれる。今、何かを始める事、人を赦す事、和解する事、何かを献げる事・・何かの導きを受けているなら、従おう。豊かな祝福があり、主を新たに経験でき、必ず従って良かったと平安を経験する。
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御声をないがしろにせず、導きがあれば従えるように祈ってみよう。愛の行い、人との平和、悔い改めなど自分では決して出来ない正しい方向に導かれる声だ。祝福を信じ立ち上がり従おう。