2012年09月22日(土)

「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりも やみを愛した。その行ないが悪かったからである」ヨハネ3:19



時に、信仰から離れる人々を、見聞きする。「対人関係で問題が起きた」「人に
つまずいた」「神につまずいた」など様々言うが、しかし、御言葉によると「悪
いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光の
ほうに来ない」とあり、光のほうに来ないのは、「自分の行ないが悪い」、自分
の内に悪があるからだと。

悪があるから、光を避け、光から逃げると。「しかし、真理を行なう者は、光の
ほうに来る」。主を信じる時、御霊に導かれて行く。御霊に導かれた歩みの中で、
正直になりたいと願う。真理を行なうとは、正直になることだ。

自分の罪に気づいた時、弁解、言い訳をしたくなる。「状況が状況だったから」
「相手だって悪い」「疲れていたから」と、自分を正当化したい。誰しも自分の
罪を認めたくない。罪を認める事は痛い。しかし、そうするなら光を拒んで行く。
それはやみの中だ。

しかし、どんなに痛くても、正直に罪を認める事は、光に来ることだ。「憎んで
います」「妬んでいます」「偽りました」「従いたくありません」と正直に、自
分の姿を認める時、主の血潮によって、赦され、平安にされる。光に来るなら、
更に光で罪が照らされ、赦され、きよめられて行く。そして、更に、正直に歩む
ようにされて行く。

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主だけを見て、どんな中でも主に従いたいと願う者を、人がつまずかせる事はで
きない。誰も出来ない。その人は光の中にいるので、絶えず自分が見える。自分
の姿を正直に認め、主との関係が正しいので、平安がある。対人関係でつまずく
自分にプライドが潜んでいたりする。