2012年10月23日(火)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:3


ある人の証しだ。信仰を持つ以前の自分は、自分の本当の姿を正視する事なく、常に自分を実際以上の者に見ていた。周囲の者より優れた者とし、優越感に浸り、人を見下していた。しかし自分の勝手な思い込みで、まさに高慢そのものであった。そんな自分なので、人の良さを認める事ができない、認めるなら、自分の価値が下がる事になる。人生は勝ち負けであった。

だから、決して自分の弱さも認められない。認めたなら負けであり、弱みを人に知られるなら、自分が下位になる。負けになるので、弱みなど絶対に知られてはならない。自分の弱さは極力隠す事になる。しかし実際は本当に弱いもろい人間であったと。

優越感と劣等感は表裏一体であり、優越感に浸れば、必ず裏返しの劣等感に陥る事になる。優越感だけを感じる事は出来ない。劣等感から妬みで苦しむ。仕事で不振が続き、成果が出せず、精神的にも追い詰められ、心身ギリギリの状態になった。

そんな時、友人に誘われ教会へ足を運んだ。スポンジが水を吸い込むように、初めて聞く聖書の言葉が心に響き、しみ入った。わけがわからず涙が出た。主に出会い、初めて主の愛を知った。常に競争社会の中で、肩を張り、突っ張っていた自分は、生まれて初めて心の安堵、平安を経験した。繕ろう事も背伸びする事もなく、自分が自分でおれた。主の愛に包まれ、愛の中で憩えた。
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神様は、私自身を高価で尊い者として今も愛して下さっている。この世の価値観を絶対視しなくていいのだ。なんと感謝で平安なことだろう。世の価値観に舞い戻っている時には早く気づけますように。