2013年06月22日(土)

「偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、 はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができま す」マタイ7:5   

       

「梁」とは大きな丸太であり、屋根を支えるために、柱と柱の間に
渡した横木のことだ。「ちり」は微少のもので、目にすらよく見え
ないものだ。他人の極小のちりはよく見えるが、自分の目にある丸
太は見えないとある。

人のあら探しをし、裁く思いが丸太であり、その思いは、目をさえ
ぎり、見えなくしてしまう。人を裁く思いがある時、正しくものを
見ることができず、相手を見ることができない。相手には確かに何
かの不足があるかも知れないが、自分の裁く心に比べるなら、相手
のものはちりみたいなものだと。

主は「見なさい。自分の目には梁があるではないか」と、自分に相
手を裁く心があることを認めよと言っておられる。それは心の中で、
自分は正しい、自分の方が相手よりましだと思っている。自分は相
手よりも寛容で、思いやりがあり、立派な人間と勘違いしているの
で、相手の弱さを裁き、責める。

又、例えば、私たちが、良く思っていない相手について、悪い情報
を耳にした時、 どうだろう。心密かに喜ぶ思いを少しでも持つな
ら、裁くことになる。嫌いな相手、妬ましい相手が失敗した時はど
うだろう。快感を感じるなら、それも裁くことになる。

相手のちりを見る、自分に梁があることになる。「まず自分の目か
ら梁を取りのけなさい」気づいて行く時に、裁く自分の姿を見せら
れ、へりくだらされる。そして主の赦しにあずかれて、相手のちり
を取り除くために用いられる。

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御霊に教えられないと、裁いていて気づかない。自分は正しいと思
っているからだ。どれほど裁いているだろう。主との関係が、さえ
ぎられてしまう。御霊が気づかせて下さる事が大きな感謝だ。悔い
改めて〃、赦されて〃歩める幸い。人の同じ弱さもわかって行ける。