2014年03月23日(日)

「人から出るもの、これが、人を汚すのです・・これらの悪はみな、 内側から出て、人を汚すのです」マルコ7:20

 

この世は「性善説」のため、外側から入るものが、人を汚すと思わ
れている。環境が、成育歴が、社会が悪いから、非行に走り、犯罪
を犯すと。だから、環境、社会が良くなれば、人間は良くなるので
あり、悪いものを取り除くのが教育だと。しかし、聖書は正反対の
ことを言う。

人は生まれながらの罪人であり、罪を犯したから罪人なのではなく、
罪人だから罪を犯すと。幼い子供は嘘をつく。親は嘘をつくように
教えた事は一度もない。しかし、子供は必ず嘘をつく。「義人はい
ない。ひとりもいない」外側ではなく、環境でなく、人の内側から
出て来るものが人を汚す。

様々な悩み、争い、衝突、それらは環境の問題ではない。それに関
与する人の心から、内側から出て来る問題だ。心に原因があり、心
から出る「罪」が人を汚す。環境によって汚れるのではない。自ら
の罪による。主の十字架の血潮が、その罪を赦し、きよめてくれる。

又、外側から、私たちに来るもの、それが人の悪意や侮辱であれ、
私たちを汚すことはできない。自分から出るものだけが、自分を汚
す。つまり、人は私たちに何もできない。人の悪意に対して、敵対
心や憎悪で反応するなら、罪を犯し、汚す事になる。

しかし、主に愛されている信仰に堅く立ち、御霊の力強い助けによ
り、その侮辱を憎しみで返さなければ、人は私たちを汚すことはで
きない。

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状況は関係なく、人のせいではなく、憎しみや恨み妬みは、内側か
ら出て、自分が選択している結果だ。主の御前に、悔い改めること
が責任を取るということだ。悔い改めて、悔い改めて歩む時に、自
分自身は自由に自由にされて行く。赦されて〃喜びもって歩める。