2014年08月23日(土)

「・・彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なの です。彼らの思いは地上のことだけです」ピリピ3:19


主をメシアと認めない当時の人々や、未信者でなく、クリスチャン
もしばしば、このようであることを、御霊に気づかせられる。ある
人は、主を求め、主に従いたいと思い、そのように歩んでいるつも
りであった。

しかし、生活の中で、祈りが自分の願い通りに叶えられなかったり、
物事が自分の思い通りに行かないなら、不平不満と腹立ち、又、落
胆で心が一杯になった。どうしても欲しいものが得られないなら、
欲求不満で、神を責め、神に怒りを持つ。神は与えてくれない、い
じわるだと。

そんな悶々の中で、心探られ、自分が心の底で求めているものは、
生活の安定であり、自分の思い通りになる人生であり、自分の心地
良い歩みであり、自分が栄光を得る事であり、自分が納得する事で
あると照らされた。

どこまでも、「自分」「自分」であり、自分が中心であり、自分の
欲望であり、自分の腹が神であり、パウロが涙をもって示す、十字
架の敵として歩んでいるのが自分ではないかと、気づかされた。求
めているのは、地上のことだけであると。自分の真の姿を見せられ
た。

しかし、そのような自分を、変わらぬ愛で愛し、キリストの姿へと
変えて下さる方であり、栄光から栄光へと主と同じかたちに変えて
行って下さる。何と感謝なことだろう。御霊は心照らしながら、導
かれる。まず自分のありのままの姿を見せられる。それは痛いが、
大きな祝福だ。認めて行くことから成長が始まる。栄光から栄光へ
と変えられて行く。

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主よ、主よ、と言いながら、自分の満足、自分の栄光、自己実現を
求めていて、気づかなかったりする。思い通りにならない事を通し
て、御霊が内側を照らし出して下さる。動機を正しくして、導いて
下さる。変えられて行き、平安を増し加えて行って下さる。