2015年03月23日(月)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11



御言葉は、すべての事において、神による「定まった時期」があり、
「神の時」があると言う。詩編には「私の時は、御手の中にありま
す」とあり、又、主も「時」を非常に重要とされた。「わたしの時
がまだ満ちていないからです」「わたしの時はまだ来ていません」
と、「わたしの時」があり、「見なさい。時が来ました」と。

私たちの信仰生活でも、あらゆる事に「神の時」がある。自分では
「最善の時」「今こそ」と思っても、それが「神の時」でなければ、
思いばかりが先走り、事態は何一つ動かない。自分では何とかしよ
うと懸命に頑張るが、空回りするばかりだ。経験あるだろうか。振
り返れば、神の時では無かった・・あの時、この時。どうやっても、
事が動かない。

逆に、神の時には、微動だにしなかった状況がどんどん動いて行く。
驚くばかりに事が動く。人の手によらずに、環境が開いて行く。ま
さに神であることがわかる。それゆえ神の時を「待つ」ことを学ば
せられる。「神の時」には、チャンスを逃さずに捕らえることが必
要だ。「すべての人が時と機会に出会う」、しかし、祈っていなけ
れば、せっかくの神の機会を逃してしまう。

「神の時」には、前進し、行動して行こう。神の時と機会を捕らえ、
従って行くなら、神の約束が実現し、神の大きなみわざを見る。又、
今まだ「時」でないなら、忍耐して待ち望もう。神の時は来る。そ
の神の時は「美しい」。「美しい」とは、そこに感動がある。
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自分の思いが強いときは勢いもあり、神の「時」では?と見間違う。
美しい神の「時」の出会いを悟れるよう、祈りながら、絶えず見張
っていよう。