2015年04月22日(水)

「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです」ヨハネ6:38




綿密に立てたプランや予定が、想定通りに行かずに、イライラした
り、落ち込んだ経験があるだろうか。目の前に障害が出てくるのだ。
時間をかけて計画を練り、様々な場合を予想し、段取りして、事を
進めて行くが、目の前に不測の事態が生じて、計画自体を断念せね
ばならなくなる。がっくりして、やる気が失せてしまう。

これは「自分が」「自分が」と、余りにも「自分が」出て、プラン
と自分が一つとなってしまい「自分の」計画、「自分の」所有にな
ってしまう。思い入れが強いため、うまく行かなかった場合に、ひ
どい落胆となる。「自分が」「自分の」でなく、「神は」「神の」
と主語を変えよう。

「自分が」神のために何をするかでなく、「神は」私の人生に何を
計画し、何を求めておられるのか。「自分が、自分が」となると必
ず行き詰まる。祈り一つにしても、願いの祈りしかない。ああして
欲しい、こうして欲しいと、神への要求ばかりになる。ところが
「神は」私に何を?となると、神のお心を知らなくてはならない。

まず第一に神の御声を聞く事から始まる。自分が神のためにでなく、
「初めに神」だ。「神から発し」たものだけが、「神によって成り、
神に至る」。人から発したものが、神によって成る事も、神に至る
事もない。そうであれば、神のお心が非常に重要だ。まず、「神が
私に何を求めておられるのか」から始めてみよう。
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神が私のために準備してくださるプランが必ずあるはずだが、自分
のプランの祝福ばかりを期待している。今日のプランの祝福を祈っ
たが、それは誰のプランなんだろう。まず御声を待とう。