2015年07月23日(木)

「70年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる」エレミヤ29:10



ユダヤの民にとって、バビロン捕囚は、国を追われ、敵に捕らわれ
の身となって行く事であり、状況だけを見るなら、絶望のどん底で
あり、真っ暗闇であった。どんなに悲惨な事であったろう。それは
大きな苦難であり、悲しみであり、混乱であった。だが結果的に見
れば、それは「将来」と「平安」と「希望」であった。なぜなら、
民は、捕囚の試練により悔い改めて神に立ち返れたからだ。

厳しい辛い訓練ではあったが、信仰を回復する事ができた。エレミ
ヤの預言通り、70年後にエルサレムに帰還する事になる。神の大き
な奇跡が成し遂げられる。「あなたがたのために立てている計画」、
バビロン捕囚は不運で起きた事でなく、人間のわざでもなく、神の
御手による計画だと言われる。

それも見えるところは絶望と大混乱に関わらず、将来と平安と希望
のための計画だと。縦糸と横糸が織りなされて、綺麗な素晴らしい
織物が出来上がるように、神は艱難の中で、苦しみの中で練り込み、
御霊と一つにして行って下さる。私たちにも、突如の試練が降りか
かる。ある日突然気がつくと、厳しい苦しい辛い事態の中にいる。

しかし、信仰人生で起こる一つ一つの出来事は、偶然でなく不運な
のではなく、すべて神の綿密なるご計画だ。それは「あなたのため」
であり、「わたしはよく知っている」偶然でなく完璧なる神の配慮
のもとで来たものだ。後に、それこそが神の深い愛であることが必
ずわかる。
--------------
明日のことも知れず、今起こっていることの意味もわからない弱い
者であっても、常に御神の愛と恵みが先行している。そう知ってい
るだけで私たちは、喜びまた強くなれる。