2015年09月22日(火) 「わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27
「わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27
ある人が職場で、身近な人々の、対人関係の争いに巻き込まれ、戸 惑いの状況にいた。どの人も、知り合いであるだけに、心を痛めて いた。しかし、人の感情はどうにもならず、話し合うほどに、分か り合えるのではなく、反対に更にもつれて行く現実を経験した。人 間の力では、どうにも出来ない状況を前に、祈りに祈り、そして主 に委ねた。すると不思議が起きて、心がすう〜っと平安になった。 自分の描く思いはあるが、祈って委ねたので、もし、自分の思い通 りにならなくとも、主が思われる最善をして下さると、信じる事が できた。そして、祈って示された通りに、自分に出来る事を行なっ た。すると何と、それが用いられて、突破口になり、事態が良い方 向に向かい、解決へと導かれて行った。その取り扱いを通して、 「主の平安」を経験した。 状況は何も変わらない中、思い煩いや心配から解き放たれた「主の 平安」が心に満ちた。別の人も、自分では何もどうにも出来ない窮 地に陥った。自分の力を越えていた。思い煩いや不安で体調も崩し てしまった。自分の無力を徹底的に思い知らされた。ギブアップで、 初めて真に主に頼れた。心底主に拠りすがって、主に明け渡した。 すると不思議が起きて、あんなに苦しかった心が、平安になってし まったのだ。あの胸の重苦しさが消えた。どのような形であれ、主 が最善をして下さると信じられると。自らの無力を知り、主に委ね る時に、平安が与えられる。 ------------ 御霊は助け主として私たちと共にいてくださっている。目先の状況 に悩まされる中で御心を尋ねて行くとき、必ず真実に導いてくださ る。明日のことを知ることができないけど、平安だ。