2015年11月22日(日)
「私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについ て、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます」Ⅱテモテ2:7
主は、よく考えよと言われる。理性と知性は神からのものだ。「知 性を尽くし、あなたの神である主を愛せよ」とも言っている。主は、 祈りの中で知性を使って、信仰生活に必要な導きを判断できるよう にして下さる。些細な事は、例えば、どの服を着るか、コーヒーか 紅茶か・・等は、常識で判断して行なえば良い。 神はある時、常識を超越した事をされる事がある。しかし決して非 常識な方ではない。信仰は非常識ではない。「神が混乱の神ではな く」秩序の神だ。「すべてのことを適切に、秩序をもって行ない」 又、「愛は・・礼儀に反することをせず」礼儀に反する事もされない。 目の前の状況もよく見て、判断する事が大切だ。一羽の雀すら、父 のお許しなしに地に落ちる事はない。身に起こる出来事の一つ〃が、 全知全能の御父の支配の中だ。状況を通しても、主は語ろうとされ ている。 ある時、突然、門が閉じられる事もある。アジアで御言葉を語る事 を閉じられたパウロのように。ビテニヤの方へ行こうとしたが、そ れも閉じられトロアスに下った。そこで幻を見てマケドニヤに渡っ た。門が閉じられる事は、別の導きがあるという事だ。パウロは 思いを越えてヨーロッパ伝道へと導かれた。 祈りの内に、御言葉や状況に目を留めつつ、神の下さった理性や知 性を用いて、神の導きを判断して行こう。神は助けて下さる。御心 の道は最善であり最も安全だ。 ・・・・・・・・・・・ 出来事、環境を自分視点で見るなら、わからない。不満、愚痴、屈 折、落ち込みへと向かう。だが、主に向いて行く時、環境は主から のもの、一つ一つの事で教えようとされている事を祈り考えて行く と、パズルが解かれるように光が見えて来る。主に向いて祈ろう。